モロッコ旅行、私にとっては初めてのアフリカでした。
行ったこともない国々に私が勝手に抱いていたアフリカのイメージと、
モロッコという国はちょっとギャップがありましたが、
私達の文化ととても離れたところにある国、例えばアフリカ諸国を知る為の一歩としては、
モロッコは適していたと思います。
今回6日間滞在したわけですが、本当の意味でモロッコという国を知るには、
とても十分な時間ではないと思うので、
私の抱いた印象は、あくまでも私がたった6日間過ごした時にもった印象に過ぎなくて、
それがモロッコの全てじゃないことを声を大にして言いたいです。
というのも、きっと、今後、私は日本で、
この一年間フランスで過ごして思ったことや、
また、私が日本人として日本で暮らし、日本に対して持っている印象や感情を、
フランスで話すことが沢山あると思いますが、
これは、全て、現時点での私の意見だということ。
この前提は、誰が何を意見する時も当たり前のことだと思いますが、
私が何か意見する時に、私自身はこの前提がとても重要だと考えてることで、
常に特筆してることなので、ここでも言っておきます。
で、ですね、私がモロッコで一番感じたこと、それは、
「世界を知る事の重要性」「教育の重要性」「経済力の重要性」
以前バリ島に一人で約20日間滞在した時に感じたことと若干類似しいるのですが、
バリ島同様に観光産業が彼らにとって、とても重要であること、
これはモロッコでもものすごく強く感じました。
「豊かな人間」を造るために必要なもの、
それは、「豊かな環境」に他ならないと。
10歳くらいの少年が母国語でない英語を操って、
観光客に商売を持ちかけてくること。
はっきり言って彼らのとる手法はとてもじゃないけど、
汚いやり方だったり、あまりにもダイレクトな訴求だったりします。
「これだけしてあげたのだから金をくれ」と。
けど、それを「不親切だ」と教える人もいなければ、
むしろ、お金の為には是とされてることです、おそらく。
ローカル価格と観光客価格とに大きな差があること、
これは一瞬、彼らが「荒稼ぎ」をしているかのように思えるのだけど、
おそらく、それは違います。と、私は思います。
なんだか、思った全てのことがスマートに伝えられないのですが、
とにもかくにも、彼らをそうしたらしめてるのは、
おそらく、あの国の経済力やら、モラルやらそういうものであって、
そのことが、私達の価値観からすれば間違ったことであったとしても、
現状としては彼らにとって必要なことであること、
やむを得ないことであることなんだろうなと思うのです。
そうして、そういうことを考えた時、私がこの一年間でフランスで感じた
沢山の日本との差、それは、モロッコではものすごく些細な差で、
モロッコを訪れた日本人もフランス人もきっとほとんど同じような印象を抱き、
同じ様なことを考えるのだろうなと思った時、
世界が経済力というものをベースにその文化が大きく二分されていることを感じ、
なんだか少し不思議な気分になりました。
そして、もう一つ、すごく思ったこと。
ここまで自分達の生活圏に観光客が土足で踏み入れいてくる事実と、
そして、それが、彼らの生活の糧にもなっている事実、
彼らはこのことに関してどんなことを考えてるのかなって、
自分もそれをやってしまっている一人だとは重々承知の上に、
とても自分勝手にも、少し切なくなって考えてました。
そんなことを悶々と考えながら歩いたマラケシュとエッサウィラという街。
写真とはちょっと皮肉な物で、絵に比べて、その物のありのままを切り取ることができるかと思い、
実は、時に、それは思いのほか、その物が持つポテンシャル以上のものを伝えることがあると私は思ってます。
光と陰の成せる技というのか、きっと。
それが、モロッコでの写真には非常によく現れていると、自分で撮影して思いました。
なんと写真栄えする街なのだと。
それにしても、久々に沢山写真を撮って楽しかった。これは正直な感想。
写真でアート気分満喫するにはいい街でした。
モロッコという国はちょっとギャップがありましたが、
私達の文化ととても離れたところにある国、例えばアフリカ諸国を知る為の一歩としては、
モロッコは適していたと思います。
今回6日間滞在したわけですが、本当の意味でモロッコという国を知るには、
とても十分な時間ではないと思うので、
私の抱いた印象は、あくまでも私がたった6日間過ごした時にもった印象に過ぎなくて、
それがモロッコの全てじゃないことを声を大にして言いたいです。
というのも、きっと、今後、私は日本で、
この一年間フランスで過ごして思ったことや、
また、私が日本人として日本で暮らし、日本に対して持っている印象や感情を、
フランスで話すことが沢山あると思いますが、
これは、全て、現時点での私の意見だということ。
この前提は、誰が何を意見する時も当たり前のことだと思いますが、
私が何か意見する時に、私自身はこの前提がとても重要だと考えてることで、
常に特筆してることなので、ここでも言っておきます。
で、ですね、私がモロッコで一番感じたこと、それは、
「世界を知る事の重要性」「教育の重要性」「経済力の重要性」
以前バリ島に一人で約20日間滞在した時に感じたことと若干類似しいるのですが、
バリ島同様に観光産業が彼らにとって、とても重要であること、
これはモロッコでもものすごく強く感じました。
「豊かな人間」を造るために必要なもの、
それは、「豊かな環境」に他ならないと。
10歳くらいの少年が母国語でない英語を操って、
観光客に商売を持ちかけてくること。
はっきり言って彼らのとる手法はとてもじゃないけど、
汚いやり方だったり、あまりにもダイレクトな訴求だったりします。
「これだけしてあげたのだから金をくれ」と。
けど、それを「不親切だ」と教える人もいなければ、
むしろ、お金の為には是とされてることです、おそらく。
ローカル価格と観光客価格とに大きな差があること、
これは一瞬、彼らが「荒稼ぎ」をしているかのように思えるのだけど、
おそらく、それは違います。と、私は思います。
なんだか、思った全てのことがスマートに伝えられないのですが、
とにもかくにも、彼らをそうしたらしめてるのは、
おそらく、あの国の経済力やら、モラルやらそういうものであって、
そのことが、私達の価値観からすれば間違ったことであったとしても、
現状としては彼らにとって必要なことであること、
やむを得ないことであることなんだろうなと思うのです。
そうして、そういうことを考えた時、私がこの一年間でフランスで感じた
沢山の日本との差、それは、モロッコではものすごく些細な差で、
モロッコを訪れた日本人もフランス人もきっとほとんど同じような印象を抱き、
同じ様なことを考えるのだろうなと思った時、
世界が経済力というものをベースにその文化が大きく二分されていることを感じ、
なんだか少し不思議な気分になりました。
そして、もう一つ、すごく思ったこと。
ここまで自分達の生活圏に観光客が土足で踏み入れいてくる事実と、
そして、それが、彼らの生活の糧にもなっている事実、
彼らはこのことに関してどんなことを考えてるのかなって、
自分もそれをやってしまっている一人だとは重々承知の上に、
とても自分勝手にも、少し切なくなって考えてました。
そんなことを悶々と考えながら歩いたマラケシュとエッサウィラという街。
写真とはちょっと皮肉な物で、絵に比べて、その物のありのままを切り取ることができるかと思い、
実は、時に、それは思いのほか、その物が持つポテンシャル以上のものを伝えることがあると私は思ってます。
光と陰の成せる技というのか、きっと。
それが、モロッコでの写真には非常によく現れていると、自分で撮影して思いました。
なんと写真栄えする街なのだと。
それにしても、久々に沢山写真を撮って楽しかった。これは正直な感想。
写真でアート気分満喫するにはいい街でした。